世界最古の文字 [0101古代オリエント]
ウルク遺跡 シュメール人の都市遺跡の一つ。1913年から第1次世界大戦をはさんで、ドイツ人のユリウス・ヨルダンによって発掘された。ユーフラテス河畔にあって繁栄していた都市が、その流れが20kmほどズレてしまったため、廃墟となったらしい。パルティア時代の遺跡の下の地層から、シュメール時代の神殿の跡が見つかった。参考 <ジャン・ボッテロ他『メソポタミア文明 (「知の再発見」双書) 』 創元社>
トークンとは 西アジアの広い範囲の遺跡から、直径2センチ前後の幾何学形をした小型粘土製品とこれが入った直径10センチぐらいの中空の粘土製の球形容器が多数出土している。その使用目的は謎であったが、研究者は小型粘土製品を「トークン」(英語でしるしの意味)、球形容器を「ブッラ」(ラテン語で球の意味)と呼んだ。トークンとブッラは前8000年紀に始まるらしいが、最初はどこで作られたかはわからない。前4000年頃には多様化し、前3500年頃に頂点に達した。その使用目的は、ブッラの表面にトークンの押印痕があったことから、物資管理のための簿記用具ではないかと考えられるようになった。1978年、女性研究者のD=シュマント=ベセラは『サイエンス』誌に「文字誕生以前の記録法」を発表し、トークンは物の数量および種類を表すための道具であり、「複合トークン」からウルクの古拙文字が生まれた、という説を発表した。参照<小林登志子『シュメル―人類最古の文明 (中公新書) 』 p.32~39>
※なお、佐伯ゆたか氏は、『コンピュータと教育』で、トークンを紹介し、この「シンボル使用の文化史」がコンピュータにつながっていると論じています。参照<佐伯ゆたか『新・コンピュータと教育 (岩波新書)』旧版 1986 p.90-97、新版 1997>
トークンからウルクの古拙文字へ 新石器時代の開始に伴い、増大する穀物や家畜を管理する必要から生まれたのが「単純トークン」で、円錐、円盤、球、棒などの形状によって種類を表し、数量が記録された。次に、ウルクの都市化の過程で、複雑多様な生産物を記録する必要から、羊、牝牛、犬、パン、油など具象的な形を含む、多様な「複合トークン」が発達した。始めはトークンをブッラの中に入れ、外側にスタンプ印を押印して、取引、契約の証拠とした。最後の段階で、トークンを押しつけてできる痕跡と同じ形を尖った筆で描いたが、後の楔形文字とは違って曲線が目立つ絵文字であった。これがウルク古拙文字の誕生である。参照<上掲 小林 p.37~39>
絵文字から楔形文字へ 前3200年頃ウルク市で発明された絵文字(古拙文字)が、整備され完全な文字体系に整えられるのは前2500年頃である。ウルク古拙文字は表語文字(表意文字)であったが、このころになると表音文字も登場し、文字の数も約600に整理され、シュメル語が完全に表記されるようになった。同じころに葦のペン(尖筆)が工夫されたことから、起筆が三角形の楔形で書かれるようになり、こうして楔形文字が誕生する。楔形文字は古拙文字の祖形を90度横向きにしているが、その理由は今のところわかっていない。参照<上掲 小林 p.40>
※トークン、ウルク古拙文字、楔形文字の画像は直接引用できませんので、上掲の小林氏の著作などを参照してください。なお、小林氏の著作は、最近の研究を取り入れて総合的にシュメール文化(ご本人の表記ではシュメルですが)を紹介している良書です。
メソポタミア文明/シュメール文化-学校の起源/シュメール人の横顔
面白いやん
by お名前 (2020-01-12 09:21)