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世界最古の法典-シュメール法典 [0101古代オリエント]

現存する世界最古の法典は「ハンムラビ法典」-と長い間言われていた。現在も、山川出版社の改定新版『山川 世界史小辞典』(2004年刊)には、ハンムラビ法典の項で、「実物が現存する世界最古の法典」とされている。しかし、定番教科書とされる山川出版社『詳説世界史』(2008年刊)では「世界最古」の記述はなく、定番の用語集である同社『世界史B用語集』(2010年刊)には「シュメール法を継承し、集大成した成文法」と説明されている。ところが、この用語集には「シュメール法」の項目がない。これでは不親切な感がある。また、最近のベストセラーらしい同じ山川出版社の『もういちど読む山川世界史』(2009年刊)では、世界最古とは言はず、「ハンムラビ法典は、オリエント諸国のその後の法典編纂の規範となった」と説明されているが、シュメール法には触れていない。そこで、「シュメール法」とは何か、他の教科書や用語集ではどう扱われているか、調べてみました。

なお、ここで言う「法典」とは、「体系的に整備され、成文化された法律」であるとします。まず、そもそも有名なハンムラビ法典について、おさらいしておこう。

ハンムラビ法典 紀元前1900年頃、シュメール人のウル第3王朝を滅ぼしたアムル人がバビロンを都としてバビロン第1王朝(古バビロニア)を建国した。その第6代の王ハンムラビ王(ハムラビ、またはハンムラピとも表記する。在位紀元前1792~1750年頃)が、全282条からなる法典を制定した。その中には有名な「目には目を、歯には歯を」という復讐法の原理のほか、平民と奴隷の厳しい身分の区別の既定などが見られる。また、犯罪が故意に行われたか、過失によるのかによって量刑に差が設けられていたことなどが特徴である。ハンムラビ王が、国内の諸民族を統一的に支配するために、法典の整備が必要であったのであろう。その条文は多くの教科書に部分的に資料として示されている。

ハンムラビ法典の発見 1901年にイランのペルシア帝国時代の古都スサで、フランスの探検隊によって石碑が発見され、内容が解読された結果、それはアッカド語で書かれたハンムラビ王の制定した法典であることが判明し、前18世紀に制定された物とされ、当時「世界最古の法典」と紹介され、有名になった。現在のこの石碑は大英博物館に所蔵されている。バビロン第1王朝の王の遺物なのに、なぜバビロンではなくペルシアのスサで発見されたのか。それは、前12世紀頃にイラン高原に起こり、西アジアで有力となったエラム人(民族系統不明)が一時バビロンを占領し、そのときバビロンの貴重品がペルシアのスサに持ち去ったのではないか、と考えられている。

シュメール法典 シュメール法典については小林登志子著『シュメル―人類最古の文明 (中公新書)』(2005年刊)の紹介を見てみよう。なお同書では著者の見解によってシュメルと表記されている。「1952年に、イスタンブル考古学博物館に収蔵されていた粘土板写本の断片が、現存する最古の‘法典’であることをシュメル学者クレーマーが発表した。これが『ウルナンム‘法典’』であって、シュメル語で書かれた、現存する最古の‘法典’であるが、ウルナンム(前2112~2095頃)の息子、シュルギ王(前2094~2047年頃)の時代に作られたと考える研究者もいる。ウル第三王朝時代になると、統一国家も成熟段階に入り、社会正義の擁護者として、王の権限を目で見える形で表すようになった。これが法典や王讃歌の成立の由来であり、王の神格かなども挙げられる。」ただ法典を「序文、本文および跋文で構成され、立法の意義も明記されている法集成」と定義すると、ウルナンム法典には問題があるので、‘法典’と括弧付きにした。

シュメール法典の内容 ウルナンム法典は序文のほぼ全文と約30の条文が復元されており、条文はまず「もし……ならば」と条件節があって、「……すべきである」と帰結節が続く。この形式はハンムラビ法典と同じである。以下その主な条文。

  • 第1条 もし人がほかの人の頭に武器を打ち下ろしたのならば、その人は殺されるべきである。
  • 第2条 もし人が強盗を働いたならば、殺されるべきである。
  • 第18条 もし(人が……でほかの人)の足を傷つけたならば、彼は銀10ギンを量るべきである。
  • 第19条 もし人が棍棒でほかの人の……骨を砕いたならば、彼は銀1マナを量るべきである。
  • 第22条 もし(人が……)で(ほかの人の)歯を叩いたならば、彼は銀2ギンを量るべきである。

ほかに、第3条に不法拘束、第4・5条に奴隷の結婚、第6・7条に仮結婚中の処女の暴行と妻の不倫、第8条に強姦、第9~11条に離婚、第13・14条に神明裁判、第15条に仮結婚の解消、第17条に逃亡奴隷、第18~22条に障害、第24~26条に女奴隷、第28・29条に偽証、第30~32条に農夫、小作人の責任が規定されている。(結婚や離婚、不倫に関する規定も同書に紹介されているがここでは省略する。)

ハンムラビ法典との違い 第18~22条の規定に見られるように、「シュメル人の社会では‘やられたら、やりかえせ’式の‘同害復讐法’は採用していなかった。傷害罪は賠償で償われるべき、つまり銀を量って支払うとの考え方が採用されていた。シュメル社会には鋳造貨幣はなく、銀を量って支払いをする秤量貨幣であった。」ウルナンム法典の約300年後のハンムラビ法典は、シュメル人が蔑視した北西セム語族に属するマルトゥ人(アモリ人=アムル人)が建てたバビロン第一王朝の第6代ハンムラビ王が制定したもので、遊牧民社会の掟である「同害復讐法」が採用された。

教科書でのシュメール法典とハンムラビ法典の扱い 手元にある最近の高校用世界史Bの、『山川詳説世界史』以外での扱いは次のようになっている。

  • 東京書籍『世界史B』 編著尾形勇氏ほか p.29 「ハンムラビ王はメソポタミア全土を支配した。各地の法習慣を集大成したハンムラビ法典を発布した。」(シュメール法には記載無し)
  • 実教出版『世界史B』 編著鶴見尚弘ほか p.24 (シュメール人)「楔形文字が発明され、法や暦もうみだされた。」 p.25 「ハンムラビ王は正義の施行者としてハンムラビ法典を制定して法治主義を確立しようとした。」 その註で「シュメール法を集大成したもので」として内容を説明。
  • 三省堂『詳解世界史』(旧課程) 編著荒井信一ほか p.52 「(アッカド人の支配から)独立を回復したシュメール人は、メソポタミアとエラムをわせて統一国家ウル第3王朝を築き、複数の民族を支配する必要から法典の編纂をおこなった。」 その註として「現存する最古の楔形文字法典である。こののち西アジア各地で、多くの法典が編纂された。」

明確にシュメール法を取り上げているのは三省堂の旧課程世界史だけであった(三省堂の新課程教科書は未見)。ほかはほとんど、ハンムラビ法典を「シュメール以来の法典を集大成した」という説明にしている。なお、実教出版の『必携世界史用語』(2009年刊)では「シュメール法」を1項として取り上げている。

【出題】 2010年 中央大学文学部 第1問 次の下線部の設問に答え空欄には適当な語句を容れよ。(部分)

現存する最古のメソポタミアの法典は、紀元前3千年紀末ごろに楔形文字を用いてシュメール語で書かれたウルナンム法典である。ウルナンムは(1)シュメール人最後の王朝の創始者として知られている。彼は、その法典の中で「私は国土に正義を確立した」と記させている。この他にも、シュメール語の法典が今日私たちの手元に残されていて、シュメール時代から法典の編纂が行われていたことが明らかになっている。この伝統の流れを引いて、前18世紀ごろ( A )王朝のハンムラビ王によって作られたものがハンムラビ法典である。その中で、ハンムラビ王も‘弱者を守り、正義を回復するためにこの法典を記させた’旨を述べている。この法典には「目には目を、歯には歯を」という( B )の原則で有名であるが、被害者の身分により賠償金などに違いがあることにも注目されている。なお、「目には目を、歯には歯を」という文言は、(2)ユダヤ教の聖典『旧約聖書』のなかに実際に出てくる表現である。<下略>

設問 (1) この王朝をなんというか。   (2) シナイ山で十回を授かったとされる人物は誰か。

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