古代オリエントの概要 [0101古代オリエント]
「オリエント」の意味:西アジア・エジプト地域は、ローマから見て、東の方、つまり太陽の昇るところにあたっていた。そこからその地方を、太陽の昇る地方の意味のラテン語「オリエンス」からオリエント」と呼ばれるようになった。オリエントとはローマから見て、「太陽の昇るところ」の意味であったが、現在でも英語でOrientとは「東洋」を意味する。「東洋」にたいする「西洋」を意味する英語はOccidentである。ヨーロッパでは広い意味のオリエントに、モロッコからエジプトを経て、インド、中国、日本を含めており、近代以降は「オリエンタリズム」と言われる「東洋趣味」または「東洋学」が存在している。
「中東」の意味:かつては「中近東」という地域名がよく見られたが、最近は、西アジア一帯を「中東」ということが多い。この「中東」は、Middle East (Mideast)の訳語で、20世紀になってから、この地域を植民地支配したイギリスで使われたものである。初めは、日本・中国・東南アジアを「遠東」、ビルマ・インド・アフガニスタン・イランを「中東」、オスマン帝国領とアラビア半島を「近東」と区分していたが、第2次世界大戦で、エジプトに置かれたイギリス軍司令部が「中東」総司令部と言われるようになった。現在では一般に、東はアフガニスタン・イラン、西はエジプト・スーダン、北はトルコ、南はアラビア半島諸国に囲まれた範囲を言う。<藤村信『中東現代史 (岩波新書)』 p.2>
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