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カデシュの戦い 最古の国際条約 [0101古代オリエント]

紀元前1286年ごろ、小アジアのヒッタイト王ムワタリと、シリアに進出したエジプト新王国のラメセス2世の軍隊が、カデシュで衝突した。このカデシュの戦いは、一時ヒッタイト軍が優勢であったが、ラメセス2世の勇戦によってエジプト軍が態勢を取り戻し、勝敗決せず終わった。これによってエジプト新王国はシリアの領土を確保することができた。その後、前1269年頃には、エジプトとヒッタイト両国の間で、平和同盟条約が締結された。この条約は現在知られている世界で最初の国際条約といわれている。

用語集に補足必要 「カデシュの戦い」は山川出版社『詳説世界史B』2008版には記載がありません。また山川用語集やその他の用語集には「カデシュ」という地名では説明されていますが、世界最古の国際条約という意義についてはふれられていません。しかし、入試では「カデシュの戦い」として問われることがあるので、ここで補足しておきます。出題例は下に掲載しました。

ヒッタイト ヒッタイト人はインド=ヨーロッパ語族に属し、小アジア(アナトリア=現在のトルコ)におこり、前1650~1200年頃、西アジアを支配した。ハッティともいう。突然西アジアに侵入し、バビロンを占領、バビロン第1王朝を滅ぼした。西アジアに最初に鉄器をもたらした民族とされる。20世紀の初頭、トルコのボガズキョイ(ボアズキョイとも表記)で発掘された遺跡から、ヒッタイト王国の歴史を物語る楔形文字の粘土板が多数発見され、この地がヒッタイトの都ハットゥシャシュであったことが判明した。前13世紀にはシリアに進出したエジプト新王国と争い、前1286年頃にはラメセス2世カデシュの戦いで対決した後、講和条約を締結した。しかし、前1200年頃、「海の民」の侵入を受けて滅亡したと思われるが、その事情はわからない点が多い。
episode ヒッタイト王国と最古の条約の発見 ヒッタイトという民族は、旧約聖書にヘテ人として現れるが、いったいどのあたりにいた、どのような民族で、その国はどんな国だったのか、全く忘れ去られていた。19世紀にエジプトのテル=エル=アマルナから発見された粘土板文書(アマルナ文書)の中にハッティ国とエジプト新王国の間に交わされた書簡が見つかり、おぼろげながらその存在が浮かび上がった。そして1905年から翌年にかけて、ドイツのヴィンクラーという学者がトルコの首都アンカラの東のボガズキョイ村の遺跡で多数の粘土板を発見した。その中の一枚にアッカド語で書かれた粘土板を読み始めた彼は、一瞬、我を忘れた。粘土板文書はエジプト新王国のラメセス2世からヒッタイト王のハットゥシリ3世にあてた書簡で、カデシュの戦いの後に両国で交わされた平和条約に関するものだった。ヴィンクラーはその条約文が、エジプトのカルナック神殿の壁面に刻まれているものとほぼ同一であることを発見したのである。こうしてこの遺跡がヒッタイトの都、ハットゥシャシュであることがわかった。<大村幸弘『鉄を生みだした帝国―ヒッタイト発堀』1981 NHKブックス p.3-5>

エジプト新王国のラメセス2世 紀元前13世紀のエジプト新王国の第19王朝の王(在位1290~24年ごろ)、ラメス2世とも表記する。トトメス3世と並ぶエジプト史上の英主の一人とされ、レメセス大王とも言われる。治世の前半は、ヒッタイトに奪われたシリアの回復のための戦争、後半は王権を飾る巨大な神殿の建造にあけくれた。ヒッタイトとの抗争では前1286年頃、2万の軍を率いてシリアに進出、カデシュの戦いでヒッタイト王ムワタリと対決、一時は危機に瀕したが、超人的な活躍で態勢を立て直し、勢力圏を確保した。また和平成ってからは巨大な建造物の造築に務め、有名なカルナック神殿ルクソール神殿を完成させ、さらにアブシンンベル神殿(アスワン=ハイダムの建造によって水没することとなったため、UNESCOの協力によって崖の上に移築された)を建設した。

episode 世界最初の国際条約 カデシュの戦いの後、前1269年頃にエジプトのラメセス2世がヒッタイトと結んだ条約は、世界で最初の平和同盟条約と言われている。条約の内容は、領土不可侵(互いに領土を侵害しないこと)、相互軍事援助(いずれかが第3国から攻撃や内乱の場合、要請があれば援軍を派遣すること。当時共通の脅威として「海の民」が出現していた)、政治的亡命者の引き渡しと免責(亡命者は送還するが帰国後は処罰しない)の三点であった。この同盟文は、カデシュの戦いのラメセス2世の武勲とともにカルナック神殿やラメセス2世の葬祭殿(ラメセウム)に刻まれている。またヒッタイト王国側では、ボガズキョイから発見された粘土板にも同じ内容の条約文が記されていた。<『世界の歴史〈1〉人類の起原と古代オリエント (中公文庫)』 1998 中央公論社p.508>


出題例 2010年 早大 政経 第2問

次の文の(a)の空欄に入る名前を記し、下線部についての問いに答えよ。

・新王国時代のエジプトは、第19王朝のファラオ(  a  )が(1)カデシュの戦いに勝利を収めるなど、勢力を振るったが、新王国時代が終わりを迎えると、その後はしばしば(2)他国の支配下に置かれるようになった。

設問 (1)この戦いでエジプトと戦ったのは、次のうちのどれか。

      イ.ヒクソス   ロ.ヒッタイト  ハ.ミタンニ  ニ.リディア

設問 (2)エジプトを支配したことのある国は、次のうちのどれか。

      イ.メディア   ロ.新バビロニア   ハ.アッシリア   ニ.バビロニア

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